残業143時間 から考える「働き方改革」

 1カ月の残業時間が143時間。
 強制されたわけではなく自分の意志で出勤し残業代も全額支給。

 これは20年ほど前に働いていた会社の勤務表なのですが、驚くことに僕は更にボクシングジムに通ったり、同僚や先輩とも飲み歩いていた記憶があります。

 長時間労働の強制はよくないと思いますが、自分の意志で残業が重なるのであればどうなのだろうと考える時があります(会社がそう仕向けるのは、もちろん問題です)。極端な長時間労働を基準にして考え、残業を絶対悪とした価値観を押し付けられるのもいかがかと思います。

 残業を禁止する、休みを強制的に増やす、やりがいや笑顔を追い求める。今の働き方改革は大事なところを見ていない気がするのです。

 現在の働き方の問題は、働いている一人一人の生活や性格や健康などを無視していることではないかと僕は考えています。個人への想いが抜けているのです。

 真の働き方改革をしている会社というのは、一人一人のことを見つめはじめた会社なのだと思います。

 4年前から働き方をかえ、会社としての成果を聞かれます。数字に表さなければ分からないと苦情のように言われることもあります。しかし「一人一人が働きやすい会社」になることで効率が上がり、経費が削減されるのは僕らからすると当たり前のことすぎて、それを数字で証明しなければ納得できないというのは驚きであり、数字なんて何を基準にしてどう計算するかで見え方はずいぶん変わってきますから、率直に言えば計算が面倒なだけです。

 それじゃあ拡がらないよ、伝わらないよと言われます。いや、拡げたいとは思っていますが、そのために始めたわけじゃないですから。。。

 と変な愚痴になってきましたが、ここからが今回書こうと思っていたことです。

 143時間の残業をこなし、更に日々の生活を楽しもうとするようなタフな時期があった僕の様なタイプの人間が経営側に入った時が要注意なのだと思います。心のどこかで自分が動けたのだからと、それを誰にでも強制し従業員を追いつめてしまう。業績が悪い会社であればなおのこと危なく、社員もパートも一緒に考え、更には人が機械や数字にしか見えなくなる。「自分が若い頃は・・・」なんて話し方をする人が更に危ない。

 ようするに人は弱い生き物だから、他人に対しては自分の強い部分を基準に物事を考えてしまう気がします。しかしそれでは多様な人間同士が同じ世界で生きていくには問題が多いように感じます。幸せや平等の格差が大きくなるとでも言えばいいのでしょうか。ならば僕が目指すのは自分の弱い部分、反省してしまう部分を基準に考えた働き方や社会への改革がよいのではと思うのです。

 競い合って、評価して、差をつけるような今の方法ではなく、認め合って助け合って良いところも悪いところも共有し合う。その先にある生活というのは僕がいつも言う「死ぬ瞬間に後悔しない生き方」に繋がるはずです。そんな職場になるためには経営者が自分の弱さに気づき、そこを基準に考えていく。僕もまだ動き始めたばかりではありますがそんな気がしてなりません。

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