問題ある従業員とは

2013年7月から働き方を変えました。当時、私のやり方や考え方に納得できず辞めていったパート従業員がいます。

私は優しいと勘違いされがちですが、細かいことにうるさいですし、ルールを徹底的に大事にする人間です。

自分が完璧とは思いませんが、「従業員同士の争いがおきる」と感じた場合は特に厳しく注意をしました。社員の見えないところで他のパート従業員を威圧したり、あることないこと噂話を拡げたり、仕事中にトイレに行くと言ってついでにタバコを吸ったり、まあ普通に問題と感じるレベルのものではありますが。

私からの度重なる注意が原因でやめた人もいるだろうと感じながらも、特に問題意識はもっていませんでした。「あの人は問題ある従業員」と思っていたからでしょう。

でも、フリースケジュールをはじめて7年たった今、自分に問うていることがあります。

たしかに彼女たちの行動は問題があったけども、会社にそもそもの原因がなかったのか、そんな状況に会社が追い込んでいなかったかと。もしかすると、職場での居場所や安心感が感じられず、誰かを攻撃することでしか表現できなかったのではないかと。

そして彼女たちは本当に「問題ある従業員」だったのだろうか。

直接対話ができないリーダーたち

やっかいな問題がおきたとき、経営者やリーダーは、現場の当事者と直接話をしない場合があります。誰かに任せてしまったり、アンケート用紙を配るだけだったり。

その理由としては、時間がないとか、面倒であるとか(これは一見自分の気持ちを出しているようにみえる)が一般的でしょうか。冷静なふりをしていますが、実は本当の理由は違うと私は思っています。

意外に思われるかもしれませんが、単純にビビっているだけだと思います。多くの経営者は想像以上に従業員にビビっています。感情がむき出しになった人間と人間の対話になることを恐れているのです。

でも良い悪いを別にして、それが人間だよなと思う面もあります。支配しようとしながらビビる、まさに人間らしい。

私も例外ではありませんから、支配欲がわかないように、ビビらないように、大変な時こそ、問題の起こりそうな時こそ、顔と顔をあわせて話をするようにしています。細かく、細かく。

重圧で本心は語れない

そんな中で気づいたことあります。顔と顔を合わせて話すとき、ビビるからこそ出てくる従業員への重圧を徹底的になくし、対極にある安心感を加えていく必要があるのではないかということです。

重圧で支配するのではなく、安心感をもった人間同士で話をすると、お互いが意思疎通を図ろうとする気持ちが生れ、こじれた問題に思っていたことも簡単に解決したり、そもそも問題自体が激減していくことを実感したのです。

では従業員にとっての安心とは何でしょうか。いろいろあるでしょうが、その一つとして私が思いついたのは「解雇されない」ということです。しかも経営者が自分の中で思っているだけでなく、従業員全員の前で「誰も解雇しない」ことを当たり前のように宣言し、それを前提として仕事をすすめていくのです。

誰も排除せず、あの人もこの人も、ともに働き続ける従業員同士であることを意識すると、争い奪い合うことへの無力感を感じます。自分の生活に何のプラスもないなと感じます。

逆に多様性を認め、それぞれの個を大事に共に生きるということは、実は自分の生活にとってプラスであると私は感じ取りました。

この気持ちをあの当時にもって丁寧に順をおって対応していたら、もしかしたら彼女たちもやめていなかったかもしれないと、やはり今は思ってしまいます。

問題ある従業員とは

今でもいろんな種類の問題はおきます。問題がなくなることはないでしょう。

しかし、問題がおきた時は、その問題がおきる仕組みを解決していけばよいだけなのです。そう考えると、そもそも「問題ある従業員」というのは存在すらしない気がします。

会社にとって「問題」というのは、人ではなく、その仕組みやルールであったり、その作り方なのではないかと思うのです。

もちろん仕組みやルールを破る人が出てくると話が滅茶苦茶になってしまいます。しかし、会社が本気で従業員の働き方や生活を考え、ともに仕組みやルールを作りながら会社を運営さえしていれば、悪意をもってそれをやぶる従業員は出てこないと私は考えます。

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