働き方改革の「一歩」への勘違い

  働きやすい職場への一歩を踏み出したい。でもその一歩がこわい、どうすれば踏み出せるのか。多くの経営者やリーダーに相談されました。

 やって駄目なら引き返せばいい。変更すればいい。問題が出るまでそれを継続するだけ。引き返せないという思いが恐れとなり、最初の一歩が踏み出せないのですと繰り返しました。

 でもさっき気づいたのです。そこが最初の一歩ではないことに。

 ではどこが一歩なのか、となりそうですが、僕が今回ビビッときたのは、「どこが一歩か」ではなく、

 そこがゴールだった ということです。

 そこまでの過程が働き方改革であり、今まで最初の一歩だと思っていた行為は実はゴールだったのです。

 僕はここ数年感じていることがあります。

 従業員のみんなは働きやすい職場になることを望んでいる。だけどもっと望んでいるのは、「会社が自分の声に生活にむきあっている」というたしかな手ごたえなんだと。

 そして会社にとって本当に必要なことも同時に分かったのです。そのたしかな手ごたえを感じた従業員がうみだす、職場の雰囲気や流れや創造であることに。

 会社と従業員は助け合うことではじめて力を発揮しますし、会社の存在意義はそこにあるのだと思います。

 今の職場はみんなで作り上げてきました。もちろん僕は経営者としての決断はしましたが、作ったのは従業員全員です。きっと一人でも欠けたらダメだったでしょうから、退職していった人にも感謝しています。

 そう考えると、相談してくれた多くの経営者は既に一歩を踏み出していたということになります。従業員の声を聴き、真剣に考えているその行為が「働き方改革」の一歩だからです。的確な答えができていなかったこと、申し訳なく思います。

 でも厳しいことも言いますと、逆に一歩を踏み出したと勘違いしている人も大勢いたなと思います。

 働き方改革を営業のための道具や、メディアへのアピールと考え、現場の声に則していない、ただの変更、強制をしているだけの会社のことです。

 最近疲れたなあなんて思っていたけど、大事なこと伝えなければと気が引き締まりました。

 東日本大震災を経験し、生きることや死ぬことを真剣にみつめ、僕なりにでてきた答えには、まだまだ程とおい世の中です。

 偶然この時代にこの場所で生き、そして身近な人達のためにできることはなんなのか。そこからみえてくる日本中の、世界中の人達の苦しみがなくなるすべのために、僕にはやれることがまだまだある、と感じています。

パプアニューギニア海産 武藤北斗

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