あいさつ、できないこともある

 前回の投稿「パニック障害かもしれない彼と働きたい」の反響がとても大きく、感想や意見などたくさんありがとうございます。

 一緒に働く従業員からも『どうやって協力すればいいのか』『実は自分もこんな時に』などの声をもらっています。これまでとまったく変わらない人もいますが、それをふくめて多様性だし、なんにしても専門家でもない私の試行錯誤を受け入れてくれているみんなに感謝です。

 さて、今回まず報告しなければならないのは、T君は『パニック障害』ではなく「社交不安障害」でした。

 T君の場合は人前で話すことや、『〇〇しないといけない』という何か決まりのあるような特定の場所にいることで不安感や恐怖感を抱くそうです。

 例えば会社内であっても、休憩室はいがいと落ち着くけど、工場に入ると不安になる。工場内は各作業でこうしなければという制約が多いので、きっとそれが原因ではとおもっています。

 工場内での心理的な不安について、さっそく一つ具体的に教えてもらいました。

 それは「ありがとうございます」という言葉が出てこない時があるそうです。感謝の気持ちでいっぱいでも、その言葉が出てこないそうです。

 もちろん出る時もあります。

 それは慣れている人かとか、性別とか、年齢とか、作業内容とか、場所とか、とにかくいろんな要素が絡み合っているようですが、とにかく喉元でつっかえているように、その言葉を発することができないそうです。

 その話を聞いて驚くとともに、そもそも挨拶って何が大事なんだろうと問い直しました。

 私は大きな声で挨拶することは絶対に必要だと言い続けてきました。こうやって書いている今もその考えは変わってないのですが、でもみんなにこうも言っています。

 「挨拶をするというルールなんだから必ず聞こえるように挨拶してください。どうしてもできないなら、挨拶をしないというルールに変更しましょう。」

 個人的には挨拶をしたほうが気持ちがいいし、いろんな区切りがつくとは思っています。でも、それが争いやもめごとの原因になるなら無くしてしまえという考えです(そもそも 挨拶は気持ちいい は、私のひとりよがりかも!?)。

 そう考えると、挨拶したい気持ち、教えてもらって感謝の気持ちはたっぷりあるけど言葉として出てこないだけの人に、苦痛や不安を与えてまで「大きな声で挨拶はみんなのため!!」はなんとも滑稽なルールかもしれないと感じてきました。

 それがわかると、これまでのあの人やこの人の行動がもしかしたら・・・と思い当たる節が出てきます。そうなるともう本当にあの時はごめんなさいとしか言いようがありません。

 と同時に、できる人までしなくなる可能性がないか?などと疑いの心が出てきそうな感じもするというか、ちょっと顔を見せているので、このモヤモヤをどうするかを考える必要はありそうです。

 でも最終的にはやっぱり対話な気がします。何かできないことや、不満なことや、改善したいこと、とにかくなんでも顔を合わせて話さえすればいい方向に向かう気はしています。

 話を聞いた数時間後、みんなにもT君には『あいさつの言葉が出てこない時がある』ということを伝えました。そして挨拶の他にも作業中の声かけなども同じようにつらいことも。もしかすると声は出てないかもしれないけれど、返事がしたい気持ちは本当はいっぱいなのだということを。

 その様子はこちらの動画になります。

 T君はまだ声かけが必要な作業まで進んでいませんが(1週間の体験で経験はしている)、これから先どうするかを考えていく必要はあります。

 「その作業をやらない」「T君は声掛けをしない」「T君が言えない時だけ隣の人が言う」などいくつか対応策があります。

 長い目でみたら、対応しすぎもどうなの?という声もあるでしょう。

 でも私は、まずはT君が働くことになれる。もっと言えば朝起きること、出勤すること、休憩をとること、週末に休むことに慣れる。そのことが重要だと思っています。

 働くことが絶対じゃないし、それが正解とも思いません。でも今T君はなんとか働こうと頑張っていますので、それを応援しています。そして、それができるようになってから「やっぱり別の道をいく」と決断してもいいのではと思っています。

 正解だからやるのではなく、選択肢を増やすためにやっている。そんな感覚でともに働いています。

パプアニューギニア海産・工場長/武藤北斗

カテゴリー: ■ ブログ(日々のこと), 工場長また語り始めた パーマリンク

コメントは停止中です。