みなと新聞掲載「パプアニューギニア海産 新天地・大阪で奮起」

2013年(平成25年)4月9日
みなと新聞(日刊) 

パプアニューギニア海産
新天地・大阪で奮起
東日本大震災被災から2年

【大阪】天然エビの魅力を広めたい-。その一心で独自の流通システムを築いたパプアニューギニア海産(武藤優社長)。社名の通りパプアニューギニア(PNG)産天然エビを自ら輸入し、加工・販売も自社で手がける。
 東日本大震災で被災し、工場、設備、在庫を全て失った同社。宮城県石巻市から大阪府茨木市に拠点を移してから5月で丸2年がたつ。マイナスからの出発を支えたのは日本の天然エビ市場消失への危機感。同社は〝本物″へのこだわりを手間暇惜しまず地道に発信し、自然食を求める消費者から強く支持されている。新天地でだしやふりかけに利用できる天然エビ100%の乾燥粉末を商品化するなどマーケット開拓に余念がない。
 同社は武藤社長が28年前に設立した。もともと漁業生産現場に興味があり、大学卒業後入社した築地市場卸(エビ担当)を3年半で退社。海外青年協力隊に参加し、ホンジュラスで2年間沿岸漁業の指導に携わる。その後、同隊母体の国際協力事業団の駐在員としてPNGに1年間赴任。1985年に同国ガルフ州政府の要請で天然エビの日本国内での販売拠点会社設立に参画、自主流通開拓のために起業した。
 2002年、石巻市に本社工場を構えるも津波被害で「全てを失った」(武藤社長)。武藤社長は当時、従業員を避難させた後、20代の男性社員と一緒に隣接工場の屋根に逃げ、何とか津波をやり過ごす。雪の降る中、一晩そこで明かした。
 当時から顧客の多かった関西の取引先の計らいで、震災後2か月で茨木市の大阪府中央卸売市場内に拠点を移し営業を再開した。武藤社長は「当時は大阪しか選択肢はなかった」としながらも、被災地を後にする「後ろめたさがあった」と振り返る。
 現在の加工規模は震災前の2~3割程度。課題は山積みだが、「われわれがいなくなればPNG産天然エビは日本に入ってこなくなる」との危機感が原動力に。現地生産者を長年支えてきた自負もある。
 生産者の顔が見え、輸入・加工・販売まで自社で一貫する独自の仕組みを維持するため、薬品や添加物を使わず、手洗いのせっけんまで無添加にこだわる徹底ぶりをこつこつ消費者へ訴え続ける。自然食業界では名の知れた存在で、「今後は頭付き天然エビを広めたい」と武藤社長。新天地で新たな目標に向かって走り続けている。


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