帰る時間を毎朝選べるのに、途中で変更できないわけ

パプアニューギニア海産ではパート従業員は毎日好きな時間に帰ることができます。出勤時、工場入口にある退勤時間の書かれたホワイトボードに自分のマグネットをはることで申告します。

 書類や口頭で伝えるのは禁止で、マグネットをはるだけ。帰る時間が何時であろうと、理由も一切必要ありません。全員が毎日好きな退勤時間を選ぶことで、気兼ねなく自分の生活にあわせて帰る習慣を作っています。

2018.6.29 - コピー

*「好きな日に働く」「嫌いな仕事はやってはいけない」など働き方全般に関してはこちら。新しい取り組み「サポートをしてはいけない」はこちら。著書「生きる職場」noteでの試し読みはこちら

 一つ注意点としては、途中で時間変更ができないこと。休憩時間などにマグネットを移動して13時を14時にしたりといったことが禁止なのです(言うまでもないと思いますが、体調が悪くなったり、子どもの学校から連絡などあればすぐに帰ることはできます)。

 出勤日や出勤・退勤時間などが自由なのに、なぜ退勤時間の当日変更はたった30分であろうと許可しないのか。疑問を持たれることが多いです。好きな時間に帰るのと、それを30分ずらすのと、なにがそんなに違うのかと。

 私が職場を考える時に一番大事にしているのは「争わない」ということですが、退勤時間の当日変更に関してはこの部分に引っ掛かってくるのです。

 何を危惧しているかと言いますと、「出勤してきたメンバーやその退勤時間をみてから、変える人が出てこないか」ということです。

 「あの人が出勤してきたから早く帰ろう」「この人が出勤してきたからもう少し働こう」などとプラスにしてもマイナスにしても、人に対する気持ちがボードで感じられることに、争いに繋がっていく危険性を感じるのです。

 人は「好き、嫌い」とは別に「気があう、あわない」ということがあると思います。趣味が同じとか、好きな本が違うとか、その程度の小さなことです。どんな組織や集団でも、10人以上の人間が集まった状態で、全員気が合うメンバーになることがあるとは思えません。

 退勤時間を変えることができなければ、気が合わないと思う人と一緒だったとしても、嫌いなわけではないので、それなりに協力しながら仕事をこなすでしょう。

 けれど、退勤時間をかえてよいことになると状況は一変すると考えます。

 話に共通点がなかっただけの、特に嫌いでなかった人のことを、自分の意思で会社の規則にそって避けることで、何だかものすごく細かなことまで気にするようになり、結果的に鼻につき、嫌いな人になってしまうような可能性はないでしょうか。

 もし数人があからさまに誰かと帰る時間を避けるように当日変更すれば、それはいじめや追い出しにも繋がるでしょう。

 考えすぎかもしれません。

 でも、その芽が出てくる可能性があるのならば、私はそうならないためのルールを作りたいのです。そして嫌われているとか、避けられていると、勘違いや思い込みで苦しむ人をなくしたいとも思っています。

 考えすぎと笑われるくらいで丁度いいと思います。気にしすぎで疲れませんかと聞かれてもいいのです。世界中の歴史を見れば、人間が争い続ける生き物であることは明白ですから。

 でもその争う人間が争わないためにはどうすればいいのか。それを考え行動できるのも人間だと思います。リーダーや経営者にはそれが求められているのではないでしょうか。

 私は何でも自由気ままな会社を目指しているのではありません。争いがないことを目指しており、そのためには秩序やルールが必要です。たとえ時代と逆行することがあっても、パプアニューギニア海産らしくないと言われることがあっても、自分達の職場にあった、人や現場を大事にする独自の方法を模索していきたいと思っています。

 今、私たちのエビ工場はとてもよいメンバーに恵まれています。でも私が気を抜くことは1日たりともありません。良い関係というのは、いつでも一瞬で崩れさる、はかないものですから。だからこそ経営者も従業員もなく、人を尊く大切にしていきたいのです。

パプアニューギニア海産・工場長 武藤北斗

カテゴリー: ■ ブログ(日々のこと), 工場長また語り始めた パーマリンク

コメントは停止中です。