働き方を考えるとき、誰のことを、どんな立場の人を基準に考えていくのか。ここに通常の経営者と私の間で違いがあるようです。
私は勤続年数が長い人や技術的に優れた人を基準にしていません。ついでに言いますと、会社が主体となって一人一人の力をのばしていくような考えもありません。個人の成長というのは従業員本人が自分で考えていく課題であると思っています。(前記事の「従業員の成長」にも通じる考えです。)
どんな人を基準に考えているのか
勤続年数や時間が長い従業員は、その経験から職場になじんでおり、社員にも相談しやすく、何より自分がどう対応すればこの職場で働き続けることができるかを理解しています。
しかし新人であったり、出勤日数や時間が少ない、仕事の上達がおそい、そんな人達は自分がどう対応すればこの会社に残っていけるか、それがつかめず不安を感じます。
工場のシステムやルールを考える時、私は後者の人達のことを基準に考え、彼女ら彼らが職場に自分の居場所を感じられるか(気にしなくていいか)、重圧を感じずに自分のペースで仕事ができるか、そのことに重点をおきます。
チームとなって、より高めていくのではなく、一人一人が平凡に真ん中くらいを目指す。そして何よりも大事なのは、従業員同士が争わない環境であること。争いがおきたり、出社のたびに苦しみを感じるようなことがあるのなら、そこから生まれてくる各種の高まりには全く興味がありません。
と同時に、これは勤続年数が長い人たちをないがしろにしているわけではなく、勤続年数が長い人が更に長く働くために必須だと考えています。
勘違いして嫌な人になっていく
こんな話を聞いたことはないでしょうか。勤続年数が長くなるほど立場があがり権力をもつ。社員や会社と近い存在になり、自分が他のパート従業員より偉いと勘違いをはじめる。その結果、自分の思い通りにならないパート従業員に圧力をかけ、やめさせる方向にもっていく。ところがそれに抵抗する人達が団結することで、最終的には勤続年数が長い本人がやめることになる。もしくは力を持ちすぎたことを邪魔に思う社員に辞めさせられる。
うちも昔は似たようなことがありました。今になって思うのは、そのパートさんが悪かったのではなく、そのような勘違いをしてしまう現場を作り、放置していた会社に責任があったということです。
そんな経験も踏まえて考えると、さきほどの後者の人達を基準に働き方を考えるということは、誰にも平等に居場所を作るという会社の意思を示すことになり、それは勤続年数が長い人にとっては、自分で必死に居場所を守り続ける重圧から解放されることになります。
会社が存続し続ける限り、私は従業員を解雇しません。何か問題がおきたとしても、顔と顔をあわせ会話を続ける中で解決策をともに探るでしょう。
「この職場はみんなに居場所を確保してくれる」「この職場にずっといていい」「会社は私を見捨てることはない」とみんなが安心して心穏やかに働ける会社にしたいです。その先に初めて、職場において争いの「根」がなくなり、心から多様性をみとめあえる会社に、そして社会になっていくのだと思います。
パプアニューギニア海産・工場長 武藤北斗
*講演スケジュールはこちらです