人はとにかく争う生きもので、基本的に信用など一切できないと思っています。これまでの人類の歴史をふりかえると、プライドや領土や財産やいろんなものを必死に奪おうと、守ろうと、争いを続けてきました。
そんな人間をなぜ手放しに信用できるのか、私はそのことのほうが不思議でなりません。そして私もそんな人間の一人であることを忘れないように気をつけています。
初めて会う人を信用して何でも話すことなどないし、ちょっと感覚としては違うかもしれないけれど、信号待ちで車道ギリギリに立つことも怖くてできません。
ただこれは好き嫌いとは違う感覚なので勘違いしないでほしいと同時に、「お互い信じ合えば大丈夫だよ。人間には優しい心が必ずあるんだから」などと言われるのはドン引きしてしまいます。
そんな私が会社の従業員のことをどう思っているのか、家族や友達のことをどう思っているのか。たて続けに聞かれたので投稿することにしました。
まず結論から言うと、家族と従業員は信用しています。友達に関してはどこまでを友達というのかが難しく今回は外しておきます。
なぜ従業員や家族は信用しているのか。改めて考えてみました。
しかし何度考えても答えはシンプルでした。
『お互いを認め合い、ともに生きていこうと考えているから』です。
従業員に関して「一緒に働くことが、共に生きていること」というほど単純なことではなく、信用できるようになる組織運営や対話を日々心がけている結果ではあります。
人は争う生きものですが、同時に争わないように考え行動もできるのです。
会社という組織の場合は、従業員同士が争わないようにルールを考えたり、秩序を保っていくのがリーダーや経営者の大事な仕事で、それが結果的に信用することに繋がると思います。
ですから、昔働いていた人を今でも信用しているかと聞かれれば、それは「今はパプアニューギニア海産にいないので、信用できないと思います」となります。ちょっと冷たい感じに聞こえるかもしれませんが、それが正直な答えです。
逆に言えばそれほどに今一緒に働いている人たちに経営者、リーダーとして私は真剣に向き合っています。
ということで人は信じてないけど、家族と今ともに働いている従業員は信用しており、それは平たく言えば「ともに生きていく覚悟を継続中だから」ということになるのだと思います。