リーダーの威圧感を受けいれた

 リーダーはただの『役割』であり『偉い』とかではありません。

 でも「最終判断をする」「指示する」ことが役割なので、知らず知らずのうちに権力者の威圧感をまとっていきます。

 みんなの声に耳を傾け、本気の改革を行い、絶対に解雇しないと宣言していてもやっぱりそれは同じで、それどころか真っすぐ突き進むほどに、それはそれでちょっと違った種類の重圧をかけている気さえします。

 結果的にどんなタイプのリーダーでも、自分のことだけは特別あつかいしてもらっている面があるし、威圧によって苦しげに仕切る場面もでてくるように思います。

 働き方のことを真剣に考え始めた頃は、リーダーとしての威圧感を少しであっても従業員に感じさせるのは間違いだと思っており、従業員との距離を縮めることで威圧感を無くそうとしていました。

 でもやっぱり自分に遠慮しているみんながいることは変わらないし、間違った方向に向かうと職場として緩みすぎるという失敗も経験しました。

 そしてある時をさかいに私は自分の威圧感に罪悪感を持つのをやめ、逆にそれを生かす方法はないかと考え始めました。

 リーダーの威圧感というのは人間の本質的なもので、それに抗っても何の解決にもならないと考えたのです。

 そのきっかけは、意外かもしれませんがメディアの取材なんです。いろんな角度から質問をうけ答えるうちに、自分が心の奥底で考えていることが言葉となって突然でてくる時があるのです。僕が取材をほとんど断らないのは、そんなところにも理由があります。

 さて、そう切り替えてまず始めたのは工場長、社員、パートさんのラインをしっかりと意識する。そのうえで自分(リーダー)のふるまいが従業員同士の関係に害をおよぼさないように、とにかく徹底的にパートさんにたいして平等に接しました

 本当に小さなことでいうと「名前を呼ぶ順番」を入社順にしました。AさんとBさんを呼ぶときに、「Aさん、Bさん お願いします」というのと「Bさん、Aさん お願いします」と言うのでは、どちらを先に呼ぶのかで受け取り側の気持ちに大きな違いがあると思っています。

 ちなみに先に入った人が偉いというわけでなく、それが一番覚えやすく、わかりやすいからです。

 そのあたりから私は仲の良い職場ではなく、争いのない状況で仕事ができるだけの、淡々とした工場を目指し始めたのです。

 そもそも『威圧』という言葉のチョイスがあっているか分かりませんが、私は『優しさの威圧』と『せめたてる威圧』があるように思っています。

 私のリーダーとしての役割を超シンプルに言うと『争いのない組織』にしていくことです。

 フリースケジュール(好きな日に出勤・欠勤)が大変なところは、みんなの出勤を予想したり調節しようとすることでなく、全員が自分の思い通りに出勤した時に、いかに他人のことが気にならず、争いが生まれないシステムや雰囲気を作るかです。

 そのためには、人としてのいろんなモヤモヤが出てきた時に、リーダーの『優しさの威圧』というものが役に立つ気がしています。一人一人には威圧はいらないのだけど、チームとして考えた時にという感じです。

 と書きながら、でも本当はそれすらいらないのが、本当のチームワークなのかもしれないと迷う自分もいます。はたして優しい威圧などあるのだろうかと。と書きながら、リーダーに完璧を求めるのも酷なんだよ!とも思います。笑

 こんな感じで悩みながら考えながら進むことばかりです。

 人としての弱さと、人がもつ知恵を組み合わせながら、でも自分の一人よがりにならないことに注意しながらすすみます。

パプアニューギニア海産・工場長/武藤北斗

*この文章は2021年4月1日のnote投稿です

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