*2021年4月にnoteへ投稿したものを転載しております。
パプアニューギニア海産の働き方を深く知ると「好きな日に出勤」よりも「嫌いな仕事をやってはいけない」のほうが人間の本質をとらえていて奥が深いと感じるようです。
人によって「好き嫌い」や「得手不得手」が違うなんて誰もが分かっているのに、なぜか一様に同じことをやらせようとする社会への違和感。
きっと多くの人が義務教育が始まった頃から漠然と感じ続けているであろうこの感覚があるからこそ、私達が「嫌いな仕事をやってはいけない」を 何だか分からない不安を振り切って エイヤ!! と実行し、そしてその結果うまくいっていることに「当たり前だよな」と思いつつ「深いかも」と感じるのだと思います。
さて、そもそも「嫌いな仕事をやってはいけない」を知らない人のために超簡単に説明しますと、2か月に一度配られるアンケートで嫌いな作業を申告してもらい、その作業に関しては どんなんことがあってもやってはいけない というルールです(働き方の詳細はこちら)。5年やっています。
今はいないですが、もし嫌いと申告した作業をやったら、私(工場長)に激怒されます。『ルールをやぶるな!』と。
その人を憎むから激怒するのではなく、そのくらいしないとこれまでの社会でしみついた「嫌いなことにも立ち向かって努力しろ」「嫌いなことをやらないなんて自分勝手だ。」みたいなことが気になり、嫌いな仕事を申告しつつも、実際はやらなければいけない『ルール倒れ』になってしまうからです。
『怒られるからやらない』という理由付けが最初は必要なのです。それは周りに対してだけでなく、自分自身にたいしても。
ただ、新人さんは参加できません。やりもしないで嫌うのは違うような気がしたので、全ての作業を経験したうえで参加することにしました。現在パート従業員は23名いますが、まだ半年たっていない9名の新人は参加していません。
というルールだったのですが、どうもこの5年間多少の違和感がつきまとっていました。
特にこの数ヶ月。ようするにドドッと新人さんが入ってから。
そこで、そもそも『嫌いな作業をやってはいけない』はなんのためにやり始めたのかをもう一度考えてみました。
日々の生活を大事にしたい。仕事のことを苦痛に思ってほしくない。苦しくて追い詰められるような仕事をする必要はない。
そして「無理にやらされるのではなく、自分でこの作業を選んでいる」そう考えることで自主的な気持ちで仕事ができるはず。もしかすると自分が嫌いな作業でさえ、やってみようかな、頑張ろうという気持ちがおきるかもしれない。
自分で選ぶことには多くの可能性が秘められています。経営者やリーダーは選択する自由が「さぼる」「一生懸命やらない」「裏切られる」に繋がるのではと恐れるのはそろそろやめたほうがいい。
そう考えると、新人だからとか、経験したことないからという理由でルールから外されるのは的はずれな気がしてきました。というよりも、経験するかどうかの最初の選択を捨ててしまっているのです。もったいない。
違和感はここだと気づいたのか、やっと目を背けるのをやめたのかは微妙な感じもしますが、一度新人も含め全員で『嫌いな作業をやってはいけない』をやることにしました。
もちろん最初に大事な共通認識を説明してから。
「嫌いを表明するのは悪いことではない」どうしても抵抗があるのなら、こんな考え方はどうでしょう。
「この作業が好きな人にゆずる」「自分が嫌々やることでチームワークを壊すのを防ぐ」「わがままではなく、やらないという選択なんだ」などなど、なんだか山ほどでてきそうです。
そして今回すごく大切だなと気づいたことがあります。それは教えるということに関して、その内容やスピードを「教える側」だけでなく「教えてもらう側」も決めることができるということ。
じっくり覚えたい人に、ものすごい勢いで教えるとミスがおきたり品質が悪くなったりします。そして威圧感や緊張感からその仕事が嫌いになってしまう確率は高く、人間関係が崩れる可能性すらあります。
だからこれからはじっくり作業を覚えたい新人は、まだ教えてもらっていない作業に『嫌い』を表明しておけばよいのです。そうすれば、どんどん新しいことを教えられて混乱することもなくなります。
私達のルールのいいところは理由は聞かないし、使い方が自由なところです。こういったルールがあり安心感が増すと、人間はさぼるとか怠けるではなく、どう働くか自分がどう成長するかに目が向くような気がします。
これは学校教育にもあてはめて考えるべき大切なことのような気がしてきました(これはまた別投稿にします)。
変えると決めてしまえば、良いことだらけで悪いことがないですね。こうなると5年近く変えなかったことが不思議に思えてきます。人間ってなかなか気づけないものなんだなと思いつつも、気づけた喜びでいっぱいです。