理解してという未熟さ

 昔はよく思ってました、言ってました。『理解してよ』『だから、今説明したでしょ』『これ以外になんて説明すればいいの』とかをちょっと圧を強めにして。

 でもいつだったか、気づいたんです。

 これ、ただ単に私が工場長という自分の立場に甘えているだけだと。みんなが言い返せない自分の立場にあぐらをかいているだけだと。

 相手のことを理解しようとしないから、適切な説明ができていない。相手の立場や状況を考える気持ちを持とうとしないから、自分よがりな説明になっている。

 勤続年数や勤務時間帯はもちろん、それぞれに得手不得手があって、好き嫌いがあるからこそ理解度にも違いがでてくる。そこを見極め、その人にあった説明をできない自分が未熟なだけで、教えられている側の問題ではない。

 毎日来ている人と、週2回来ている人に同じ説明で通じるわけがない。通じることがあったとしてもそれを基準にするのはおかしい。

 もちろん私も完ぺきにできているわけではありません。でも、それを意識したうえでの説明は以前とは違うだろうし、従業員に与える圧力は随分と減ったでしょう。そうすることできっと、未熟な私の説明を一生懸命受け止めようとしてくれる従業員が増え、お互いをあわせることで一人の完ぺき分に届くきがします。

 結局のところ、理解してもらうというのは、説明のテクニックではなく、気持ちの問題なのかもしれません。

*この投稿は2020年にnoteに投稿したものです。

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